2016年3月22日火曜日

不変








思い出の地、マレーシア。


変わらない景色と、変わった景色。


トランジットの4時間で、見に行けたのはものの30分。


それでも、チャイナタウンの駅パサール・セニを降りると、


当時は建設中だったと思い出した、真新しいバス・ターミナル。


建物も幾つか取り壊されて、ビルの裏が見えていた。


滞在してた安宿「Grocer's Inn」も、好調なのか、立派な門構えに。


時間がなくて、食べたご飯はマクドナルド。


インド人のおばちゃんとマレー人のお兄ちゃんが陽気に対応してくれた。


いつまでも変わらないのは、マレーシア人のあたたかさだった。





2016年1月19日火曜日

蝋燭







〝私たちは恐れない〟


叫び出した声は、どこへ届く。


あの時、近くのビルで働いていた人は「記録のためだ」と言う。


あの時、現場にはいなかったスマランの女子大生は「ここはもう安全だと友達に知らせたい」と言う。


SNSを通してどちらも発信される。


その時、〝私たちは恐れない〟と添えるのだろうか。


その子にどうして安全だと言い切れるの、と尋ねてみた。


少し考えて、こう言った。


「そんなこと考えてもみなかった」


蝋燭と花びらの甘い匂いだけが残った。



2016年1月10日日曜日

背中






年が明ける1日前、海上で船に揺られていた。

南島スラウェシ・ワカトビ国立公園のホガ島へ向かうためだ。

各島を結ぶ定期船は電話で確認したにもかかわらず、休航。

通常料金の6倍以上の値段でなんとか出港した地元漁師の二人乗り木船は、ところどころ
空いた隙間から海水が流れ込み、心中穏やかではなかった。

日本の12月では考えられない、インドネシアの強い日差し。

ブトン島北東のカマルから、ワンギワンギ島まで、約5時間。

炎天下の海上で、トラブル続きだった半日を振り返り、来年の行く末が思いやられた。

ともあれ、久しぶりに「ここはインドネシア」だと思い知らせてくれた、

この国の不変性にホッと胸をなでおろしもした。


ワンギワンギ島からホガ島に向かうスピードボートの船長は3児の父。

手伝いで同乗した14歳の息子は口数少ないながらも、親父の背中を見て育ったことがよく分かる。

船に乗り込み、帽子を被り直したら、後ろ姿が重なった。