2019年1月6日日曜日

歳初
























新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

2018年3月12日月曜日

光想




光にのせた想いはどこに向かい、どこに届くのか。


私たちが見ている真実と、


あなたが見ている真実はこうも違うのか。


ニュースで報道されている真実と、


現場で起きている真実はこうも違うのか。


満天の星空の下、手作りの光が浮かぶ。


濃紺の空に、光が差した。


その光よ、真実を明かして。




2017年12月3日日曜日

手平



 















イスラム教の団体が、ジャカルタにあるモナス広場で大規模集会を開いた。

日本で言えば代々木公園みたいな首都にある市民の憩いの場。広さは約80ヘクタール、中心には高さ130メートル超の独立記念塔(Monumen Nasional:略してMonas=モナス)があり、展望台からはジャカルタが一望できる。

広場にはもちろん観光客も訪れる。つい最近まで敷地内での宗教活動などは禁じられていたが、イスラム寄りの新知事が知事令を出し、この制限から広場を開放、今回の集会はジャカルタ主催の前週の集会に続く2回目の集会だった。

集会のテーマは「同窓会」。何の同窓会かというと、イスラムの聖典コーランを侮辱するような発言をして失脚したアホック前知事に対するデモに参加したメンバーたちの集会。

アホック前知事へのデモは昨年の昨日、つまり同じ12月2日に開催された。この時、全国各地から参加者を乗せたバスが乗りつけて最終的に20万人が集まったとされている。集会には「Reuni Almuni(レウニ・アルムニ)212」とタイトルが付けられている。

外語大の辞書によれば、レウニは「旧交を温める集い」。ことしの知事選で結果的に勝利を収めたイスラム側が、デモから1年経過したので会いましょうという感じの集まり、と様子を思い描いていたら、「アッラーフ、アクバル!」を連呼したり、「ジハード」を口にする場面もあった。

広場では午前3時50分ごろから集団礼拝が始まり、朝には東南アジア最大規模のイスティクラル・モスクで同時刻に礼拝していた人が集結。正午ごろまで一緒にお祈りをした後、掃除をしながら帰途に着いた。

今回の警察発表の参加者推計は3万人。一方、主催者側は750万人という、突拍子もない数字を発表。学者はせいぜい70〜80万人が広場のキャパシティから見ても限度としている。

さらに、主催者側は「ゴミを拾いながら帰りましょう」と参加者に呼びかけ、持参したビニール袋に「自分たちで捨てた」ごみを拾った。広場や公園の利用者であれば当然の行為を、あたかも「私たちは良い行いをしています」と宣伝している。市民団体の地道な清掃活動とは全く性質が異なるのにだ。

さらに最終的に集積場まで運ぶのは、アホック前知事が月額の最低賃金を保証したジャカルタの清掃員。誰がこの体裁だけの活動を見て喜ぶのだろう。反対に、誰のはらわたを煮えくり返らせているのだろう。



きっと社会で生きていくためには、誰かしらの手のひらの上で動かなければいけない。しかし、今回は外人にとっては居心地の良いとは言えない「手」になったのではないだろうか。

黒い筋がかかった沈みかけの月が、何とも言えない不気味さだった。





2016年3月22日火曜日

不変








思い出の地、マレーシア。


変わらない景色と、変わった景色。


トランジットの4時間で、見に行けたのはものの30分。


それでも、チャイナタウンの駅パサール・セニを降りると、


当時は建設中だったと思い出した、真新しいバス・ターミナル。


建物も幾つか取り壊されて、ビルの裏が見えていた。


滞在してた安宿「Grocer's Inn」も、好調なのか、立派な門構えに。


時間がなくて、食べたご飯はマクドナルド。


インド人のおばちゃんとマレー人のお兄ちゃんが陽気に対応してくれた。


いつまでも変わらないのは、マレーシア人のあたたかさだった。





2016年1月19日火曜日

蝋燭







〝私たちは恐れない〟


叫び出した声は、どこへ届く。


あの時、近くのビルで働いていた人は「記録のためだ」と言う。


あの時、現場にはいなかったスマランの女子大生は「ここはもう安全だと友達に知らせたい」と言う。


SNSを通してどちらも発信される。


その時、〝私たちは恐れない〟と添えるのだろうか。


その子にどうして安全だと言い切れるの、と尋ねてみた。


少し考えて、こう言った。


「そんなこと考えてもみなかった」


蝋燭と花びらの甘い匂いだけが残った。



2016年1月10日日曜日

背中






年が明ける1日前、海上で船に揺られていた。

南島スラウェシ・ワカトビ国立公園のホガ島へ向かうためだ。

各島を結ぶ定期船は電話で確認したにもかかわらず、休航。

通常料金の6倍以上の値段でなんとか出港した地元漁師の二人乗り木船は、ところどころ
空いた隙間から海水が流れ込み、心中穏やかではなかった。

日本の12月では考えられない、インドネシアの強い日差し。

ブトン島北東のカマルから、ワンギワンギ島まで、約5時間。

炎天下の海上で、トラブル続きだった半日を振り返り、来年の行く末が思いやられた。

ともあれ、久しぶりに「ここはインドネシア」だと思い知らせてくれた、

この国の不変性にホッと胸をなでおろしもした。


ワンギワンギ島からホガ島に向かうスピードボートの船長は3児の父。

手伝いで同乗した14歳の息子は口数少ないながらも、親父の背中を見て育ったことがよく分かる。

船に乗り込み、帽子を被り直したら、後ろ姿が重なった。




2015年8月24日月曜日

空蝉






足元を見ると、底が見えない。


空を見ると、先が見えない。


周りのものがすべて空っぽに見えて、


空蝉はそこにあるのだろうか。


空虚な世界を彷徨っている、


その先へ。